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ペリリュー島 訪問

2019-04-22
時代はもうすぐ 「令和」。 平成の時代ももう少しで終わりです。

平成生まれの人たちのなかにも、もう社会の第一線で働いている人、がんばっている人も増えてきているからますます昭和の時代から遠ざかってしまうんだよね。

だけど、とらたち世代はやっぱり 「昭和」 の時代に育ってきた世代だから まだまだ昭和が身近な時代であるのでございます。

今回、パラオを訪問するにあたって訪ねなくてはいけない、と考えていたのが ペリリュー島の戦跡。

昭和の大事件、というか人類、人種にとっての大きな転換点になった 第二次世界大戦の大激戦地を日本人、それも戦争を知らない世代としては一度はみておかなくてはならない、と思っていたんだ。





第二次世界大戦の戦争が始まった経緯や戦況、実際に この島でどんな戦いが行われたかについて正確に語る事はとても難しい事。
敵・味方での見方も違うし、この戦いで親族を亡くしている方や、受けてきた歴史教育の内容によっても受け捉え方が違ってくる。
あまりにも 出来事が大きすぎて語れないし、語りつくせない。
だから とらとしましてはこの島で見てきたものを淡々とご報告するに留めようと思うんだ。


資料としてこちらを紹介!  ペリリュー島戦記 ウィキペディア → ペリリュー島戦記



ペリリュー上陸
ペリリュー島に上陸しました!

パラオの中心的な島、コロールからボートに乗って約1時間ほどでペリリュー島に到着します。

戦跡ツアーは盛んに行われていて、日本人のみならず欧米系の方の参加もとても多い。 ボートで島に上陸するまでは日本人も欧米人も一緒に乗ってくるんだけれど、島に着いたら日本人グループ、 欧米系グループで分かれるんだ。

英語と日本語がいっしょになったら判りにくい、ということもあるだろうし、それぞれの国民が抱える想いも違うからの配慮なんだと思うな。

総勢、30人くらいで島にやってきました。 出発の桟橋まではダイビングや島巡りの観光客達もいて華やか、にぎやかだったのにペリリュー行きボートに乗り込んだ面々はこの南国の楽園に相応しくない 少し固い表情をしていた。



中古車
日本からの中古車がそのまま使われています 

日本人、欧米系 2グループに分かれて戦跡めぐり開始!

日本から輸入されてきたマイクロバスが塗装もそのままに使われていました! 戦跡めぐりのなかで唯一ほっとできた場面。




ゼロ戦
ゼロ戦の残骸があった

ゼロ戦の残骸。 駐機場に停めてあった機体で残っているのは翼の根元と脚とコックピット部分だけ。
言われないと飛行機とは判らないほど劣化が進んでいた。


9式戦車?
日本軍の戦車
ジャングルの中を進むため、小型の戦車が投入されたようだ。 かなり小さい車両。



アメリカ上陸舟艇
アメリカ軍上陸用舟艇

アメリカ軍の上陸用舟艇。 こちらは日本軍の戦車に比べて大きかったが、人員を運ぶ為の大きさで装甲はそれほど厚くなかったようだ。
上陸作戦の際に日本軍から撃たれて上陸前に多くの犠牲がでたようだ。


戦争博物館
ペリリュー島 戦争博物館

爆撃をうけた建物がそのまま博物館として残されてました。
中には日本とアメリカの両方の戦争資料が展示されていた。

物量で勝るアメリカの資料は記録映画もあり充実している。 延々と流され続けている上陸作戦時の動画映像。
塹壕に立てこもる日本兵に対してアメリカ兵が火炎放射を噴射して、耐え切れず飛び出してきた日本兵を塹壕脇で待ち構えていたアメリカ兵がライフルで背後から射殺する映像が衝撃的だった。

この日本兵は亡くなった後も いまだに射殺され続けているのかと思うと切なくなる。


オレンジビーチ
上陸作戦が行われたオレンジビーチ

アメリカ軍の上陸作戦が行われたオレンジビーチ。 遠くにみえる島が見えなくなるほどたくさんの艦船で埋め尽くされたらしい。

「オレンジビーチ」の名前は この海がアメリカ兵の流す血で真っ赤に染まったから、という説もあるようだけれど、実際はアメリカの上陸作戦の名称の 「オレンジ」 からきていて、上陸作戦を決行した海岸なので オレンジビーチ と呼ばれているとの事。


戦争の痕跡が一掃され 何もない静かなに波が打ち寄せる 穏やかできれいなビーチ。 少し前の時代にそんな 凄惨な出来事があったとは思えない程の静けさ。

目の前に広がる穏やかな風景と、過去にここであった凄惨な出来事が まったく相容れない現実に くらくらしてしまいそうな衝撃を覚える。


地雷原
地雷がまだ残っている。 歩ける範囲はマーカーの白い枠内だけ

ジャングル内の戦跡を巡る時は 未だに埋まっているかもしれない地雷と 不発弾に注意しなくてはならない。

地面に打ち込まれた赤白杭の 白い側の内側を歩かなくてはいけないんだ。


海では 未だに未処理の機雷が 見つかる事も少なくないらしい・・・

日本ではあまりニュースにならないけれど、 日本軍が洞窟内に隠していた 戦車が稼動可能状態で 見つかった、といったこともまだまだあるらしい。
把握されていない 武器弾薬の類がまだまだ島のなかに眠り続けている。

もちろん、いまだ帰国できていない日本兵の遺骨も多数眠ったままだ。



ウツボカズラ
食虫植物のウツボカズラ 発見! 

気が重くなるツアーの中で少し気が晴れたのが 食虫植物の ウツボカズラの自生を見つけた時の事。

子どもの頃から 食虫植物好きのとらにとっては憧れのウツボカズラの自生地に来れたことは大変に嬉しい!けっこう乾燥した土地に生えているんだね・・・

・・・兵隊さんの中には植物好き、将来植物の学者になりたかった人もいるだろう。 そんな人もこのウツボカズラを見たのだろうか。 少しは気持ちが安らいだったのなら良いのだが。
あの当時、外国の植物の自生地に行ける機会なんてまずなかった。 日本にいてはまず見る事ができなかった植物や動物、鳥などがいる外地に来れたのに 戦争で戦わなくてはならない・・・
気持ちを思うとやりきれなくなる


日本兵の慰霊碑に線香をあげて ひと通りの行程は終了。  日本兵の慰霊碑から少し離れたところで アメリカ兵の遺族だろうか、欧米系の皆さんも献花をしていた。

ペリリュー島での日本兵との戦いでは 当初アメリカは第一海兵師団を投入した。 しかし、日本の塹壕を活用した戦略に翻弄された第一海兵師団は被害甚大で 部隊の「壊滅宣言」を出されて撤退、代わりに投入されて日本軍を制圧したのが 「ワイルドキャッツ」と呼ばれる部隊 。

アメリカ兵の慰霊碑は 第一海兵師団 と ワイルドキャッツの 両方のものが建立されていたが 戦果を挙げた ワイルドキャッツ のものに対して撤退を余儀なくされた 第一海兵師団のもの はとても小さい。 
しかし、欧米系の皆さんは第一海兵師団の慰霊碑にも変わらず献花を捧げていた。 とらも心のなかで彼らに黙祷した。


帰りのボート乗り場のところで再び 欧米系の皆さんと合流。 特に言葉を交わしたりしなかったけれど、行きの雰囲気に比べて少し場が和んでいた気がするし、日米両者ともすこし表情がやわらかくなっていた気がする。

敵味方に分かれて戦った者たちの子孫でそれぞれいろいろな想いはあるんだけれど、慰霊の旅を終えて気持ちの整理も少しできたのかもしれない。



とらは今年で猟銃を所持して10年だ。 日本では10年猟銃所持を続けると、散弾銃よりさらに強力な猟銃、ライフルを所持申請する事ができる。

とらもイノシシ、シカの捕獲率をあげるためにライフル申請をするつもり。
だけど、強力な銃器を手にする前にこのような凄惨な歴史のあった場所を訪問した事はとても良かった、と考えた。

強力な銃器を手にしても、その銃口が、けっして人に向くような時代が来ない事を強く思う。 

銃器を手にしてイノシシやシカを追っかけていられる幸せ。 銃口が人に向かない平和な時代がずっと続くことを祈念せずにはいられない、と強く思ったペリリュー島 戦跡訪問の旅でした。




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